元祖東海道を探る2
今更ワンピースにハマってしまった洋二郎です。
冒険ってワクワクするねw
さてさて、先日の続きです。
延喜式という法令集の中に「駅路」として明記されている地名を辿ると
どうやら宇津谷峠のルートで情報を伝達していたらしい、ということが分かっているそうです。
この駅路の遺構は残念ながら残っていないそうですが、
これは焼津の地域は沼地+大井川の氾濫が原因だったのじゃないか、と言われてます。
安倍川や大井川、静岡の川はどうしてこんなに氾濫するのかね。
源流からの水量の豊富さ、そして高低差が理由として挙げられていますが、この情報が
静岡だけの特例なのか、全国的に見たら大体そんなもんなのか、まだ調べられていません。
ともあれ、焼津の平野部は沼地で歩きにくかったってことは確か。
これが原因で日本坂から宇津谷へルートが変更されたのかも知れませんね。
この辺りの推測がなんとも面白いポイントですが、先に進みます。
平安時代になると他にも「宇津谷ルート」が東海道だったという
推察するに値する情報がちょっと増えます。
伊勢物語。
おお、なんか聞いたことがあるぞ?習ったのが昔のことすぎて
内容もなんだか全く覚えていませんが、昔の物語ですよね。
最近の学説だと実際に旅したことをもとに作られた物語とされているらしいです。
863年。
竹取物語と並んで最古のつくり物語として二大巨頭です。
そこに「蔦の細道」が登場している。
なるほど、もう日本坂ではないのですね。
枕草子にも木枯らしの森が出てくる。
この木枯らしの森は安倍川と藁科川の合流地点にあるちょっとした森で
なんとも不思議な山なんですよね。
ここを清少納言が触れているということは、こちらも東海道だったと考えて良さそう。
この二つの場所を結ぶのが旧東海道と考えるのが良さそうですが、
これまた山道、もしくは沼地なんすよね。
おもろ〜。当時の人はどうルートを選んだのか、、、妄想しながら
歩いてみたくなりますが、下手したら遭難してしまうので(それくらい山道です)
この辺は詳しい人を探してガイドしてもらいたいところです。
ここまでの時代は峠を越えてからのルートが参勤交代で栄えた旧東海道とは
北側に外れて行きます。広重の絵にも出てくる「丁子屋」は平安時代や鎌倉時代には
まだ沼地だったのでしょうか。
いや〜面白い。
先日のブログに書いた「歓昌院坂」こちらも峠道ですので
宇津谷〜丸子〜歓昌院のルートが旧東海道というルート、
という前提で歩いてみようと思います。
冒険ってワクワクするねw
さてさて、先日の続きです。
延喜式という法令集の中に「駅路」として明記されている地名を辿ると
どうやら宇津谷峠のルートで情報を伝達していたらしい、ということが分かっているそうです。
この駅路の遺構は残念ながら残っていないそうですが、
これは焼津の地域は沼地+大井川の氾濫が原因だったのじゃないか、と言われてます。
安倍川や大井川、静岡の川はどうしてこんなに氾濫するのかね。
源流からの水量の豊富さ、そして高低差が理由として挙げられていますが、この情報が
静岡だけの特例なのか、全国的に見たら大体そんなもんなのか、まだ調べられていません。
ともあれ、焼津の平野部は沼地で歩きにくかったってことは確か。
これが原因で日本坂から宇津谷へルートが変更されたのかも知れませんね。
この辺りの推測がなんとも面白いポイントですが、先に進みます。
平安時代になると他にも「宇津谷ルート」が東海道だったという
推察するに値する情報がちょっと増えます。
伊勢物語。
おお、なんか聞いたことがあるぞ?習ったのが昔のことすぎて
内容もなんだか全く覚えていませんが、昔の物語ですよね。
最近の学説だと実際に旅したことをもとに作られた物語とされているらしいです。
863年。
竹取物語と並んで最古のつくり物語として二大巨頭です。
そこに「蔦の細道」が登場している。
なるほど、もう日本坂ではないのですね。
枕草子にも木枯らしの森が出てくる。
この木枯らしの森は安倍川と藁科川の合流地点にあるちょっとした森で
なんとも不思議な山なんですよね。
ここを清少納言が触れているということは、こちらも東海道だったと考えて良さそう。
この二つの場所を結ぶのが旧東海道と考えるのが良さそうですが、
これまた山道、もしくは沼地なんすよね。
おもろ〜。当時の人はどうルートを選んだのか、、、妄想しながら
歩いてみたくなりますが、下手したら遭難してしまうので(それくらい山道です)
この辺は詳しい人を探してガイドしてもらいたいところです。
ここまでの時代は峠を越えてからのルートが参勤交代で栄えた旧東海道とは
北側に外れて行きます。広重の絵にも出てくる「丁子屋」は平安時代や鎌倉時代には
まだ沼地だったのでしょうか。
いや〜面白い。
先日のブログに書いた「歓昌院坂」こちらも峠道ですので
宇津谷〜丸子〜歓昌院のルートが旧東海道というルート、
という前提で歩いてみようと思います。