駿府に恋して@ライト焼津編

先日の駿府探訪、偶然花沢城からの絶景に出会いました。
眼下に広がる焼津の街並みに感動してたのですが、そもそもは水浸しだったようです。
大井川が雨のたびに流路が変わり、そこらじゅう水で溢れていたようです。
それを整備し、水田に大開発したのが「田沼意次」なんですって!
「べらぼう」の彼です。
そんな繋がりがあるんですね〜。
そこで作られた静岡のお米、現代はピンとこない人が多いと思いますが、
当時はめちゃくちゃ優秀だったようで
美味しいお米番付では上位にランクインしていたようです。
現在の米所は(新潟とかね)ランキング下位揃いで、江戸では静岡産が重宝がられたそうです。
へぇ〜〜〜。
何が起こるかわからないもんですね〜。
そして度々みかける「川の流路が変わる」記述。
現在の感覚だと理解し難いですが、そういえば雨が降った後の大井川は
「あれ?前と違う流れになってる」と思うことが度々ありました。
水量の割に川幅が広い印象だったのですが、そんな過去があったからなんすね。
江戸の街も元々は水浸しだったのを家康が川の付け替えをして
水抜きした話は有名ですが、静岡でも安倍川、大井川でも治水工事は必須だったんですね。
おもろ!!!!