情報量過多

価値観の変わるスピードが早すぎる。。。


今までの時代に比べて手に入る情報量が増えてます。スピードも早くなっているし。
それはそれでいいことなんですが、ちょっとソワソワしているというか手放しで喜べない自分もいます。
確かに一昔前は演奏する曲の資料としてCD屋さんに駆け込んでいろんなバージョンの演奏を聴きまくってからリハーサルに臨むなんてことをやってましたし、それだけでお札がどんどん飛んでいきましたので、今のサブスク文化万歳なんですが、やっぱりそのCDを味わうぞ〜とかクレジットの情報まで全部読むぞ〜みたいな骨の髄まで堪能するぞ感が薄れてきちゃってます。ホントにそれでいいのかい洋二郎くん。
とどこかから問われている気がしてます。
情報量は確かに増えたのですが、その情報を自分ごとにして落とし込み、昇華させるまでの時間が足りていない気がしてます。
体験→経験、に変わるまでの絶対的な時間というパーツが不足しているんじゃないかな。そんなことをぼんやり考えております。

やっぱり時間というアイテムが最後に加わることによって、人としての厚みが出てくるし、体験しただけじゃ分からないもを時間をかけて手に入れる作業も必要なんじゃないかな。じゃないと人様にバレちゃう。あ、こいつ薄っぺらいな、みたいな。
ハリボテじゃなくなるまで自分の中で落とし込める時間が必要です。
でも人生、限りがありますので出来ることは少ないです。何に時間を投入して、自分の厚みを出すのか。割となんでも興味のあるものを手探りで集めてきちゃう人生でしたので、洋二郎道を極めるためにはもうちょっと絞らないといけないかなぁとおもとります。


で、本題です。
この情報量が増えすぎて、それを咀嚼する時間がないまま次の環境に移行している今。その情報に左右されて価値観が変わるスピードが早くなりすぎていませんか?
大衆の。僕も含めてですが。
善悪は時代が決める、という話がありますが知ってます?
例えば俺が小さかった頃、路線バスの中でタバコ吸えてました。今じゃ考えられないけど。当時は普通でした。この「普通」というのは「時代」が決めるんです、という話。
めちゃくちゃ体罰もあったし、シゴキなんかも普通にありました。
でも「時代」と共に変わってきて今がありますよね。
これある程度の「時間」をかけて変化してきたわけですが、今はホントに一瞬で社会の流れが変わっちゃよね。
サッカー選手のスクープや、芸人さんの文春砲。いち大衆として感情の揺れ幅がすごいなと客観的に感じてます。LGBT問題を取り扱う人たちの立ち位置もどんどん変わってっちゃってもはやメチャクチャですよね。「そうじゃない感」がハンパない。何が「平等」なのか「平等」を定義できてない人たちが議論してる感じ。多分、あれ時間が足りてないんすよ。情報のスピードが早くなりすぎちゃって咀嚼する前に次の情報が入ってきちゃう。
こんな「時代」が動くスピードが早かったことって今までの歴史上ないわけで、どんなことになってしまうのか心配を通り越してワクワクしちゃってます。

自分は地に足をつけた、音楽家として死んでいきたいなと思ってますが、この感覚も昭和の頑固親父みたいに古い感覚になるのかもしれません。




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