杉並の歴史を調べた備忘録
地元の名所、井草川。
川といっても今は暗渠になってますので水を目視できるわけではありませんが、
谷頭にある切り通し公園では今でも夏になるとポンプで水を汲み上げて流して
地域の子どもたちの憩いの場になってます。
先日、井草川の河口である妙正寺池から源流の切り通し公園まで歩いてみました。
それはそれは縄文時代から続く歴史を感じながら、めちゃくちゃ楽しい時間だったのですが
今日はちょっと寄り道して尋ねた観泉寺の話を。
杉並区の今川にあるめっちゃデカいお寺、観泉寺。
これ今川さんのお寺なんすよ。桶狭間の戦いでやられちゃったあの「今川さん」です。
歴史の授業だと、その後家康にやられて滅びた、程度の記憶だったのですが、
なんで東京にこんなデカいお寺があんの?!なんです。
ちょっと調べたら、その後の今川家の流れがクリアになり、なんでめっちゃデカいお寺が江戸にあるのか
理解できましたので、共有しておきます。
今川義元が亡き後に、息子さんは奥さんの家元「北条」さん家にお世話になります。
しかし、北条さんが武田信玄と同盟を結ぶと
「こりゃ風向き変わるぞ?」と一目散に逃げ出します。
鼻が効くんですねw
で、逃げ出した先はなんと、かつての家来だった家康さん家。
これなかなかできることじゃないっすよね?
昔の部下に助けを求めるって。
それを受け入れる家康も家康で凄いですが、まぁ幼少期に一緒に育った中ですから
親戚みたいな感じなんすかね。
で、そこで世話になりながら京都でも朝廷をウロウロしていたそうです。
もともと守護ですからね。
朝廷にも顔が効くわけです。
時は流れて、孫の世代。
家康さんは亡くなって孫の家光時代。
家康の神格化を狙った家光は朝廷に
死んじゃった爺ちゃんにめっちゃ良い権威を与えてよ〜
ってお願いしたんですって。
でも朝廷は、天皇さま界隈の動きを縛り付ける法令を作っていた家康のことを
よく思ってなかったそうで、京都組は難色を示していたそうです。
そこで徳川家は朝廷でもウロウロしていた今川さんを思い出します。
「ちょっとお前、顔が効くんだったら交渉してこいよ〜」
ってなもんで、今川(当時は直房くん)が交渉に出向いて
見事、めっちゃ高い権威を家康に与えることに成功するんですって。
おいおい、お前めっちゃ良い仕事すんじゃん〜!!
って評価は爆あがり。
今川家の菩提寺としてここ使って良いよ〜と与えられたのが観泉寺なんですって。
その後、今川家は高家旗本となって神事やなんかを取りまとめる立場で明治維新まで
続くことになります。
で、お寺の周りの住所なんかも「今川」となりますし、青梅街道にある「八丁」って
交差点も当時の距離の単位でめっちゃデカいって意味らしいのですが、
そこまで敷地があるほどのお寺を与えられるわけです。
そのお寺にあった寺子屋の跡地にあるのが現存する桃井第一小学校なんてすごくないっすか?
俺らは「モモイチ」と呼んでいますが、俺の従兄弟の学舎です。
すげ〜。
天下を納めるのも成功の一つですが、お家を残すということも当時の成功に値すると考えると
今川家、大成功なわけですよ。
直房の役職も、最終的には義元の役職よりも高くなったそうですし、
今川家の最後としては江戸末期に若年寄に選出されるなど、充分すぎる大出世でフィニッシュ。
う〜〜〜ん。
歴史は浪漫です。