木枯らしの森


盛り上がって、そもそも東西の要所として盛り上がっていた頃の
道って残ってるのか?という疑問を解決すべく調べてみたんす。

そうしたら、1000年前は安部川に橋もかかっていなくて、
今のように護岸も整備されていない訳で、そこらじゅう水浸しだったそうです。
そらそうだ。言われてみればそうなんすけど、現代に生きていると現代の当たり前が
感覚をバグらせます。

雨が降ると、川の流れもあっという間に変わり、この前渡っていた浅瀬が渡れなくなっている
なんて事も当たり前のように起こっていたそうです。

なので、当時の人は「ここなら大丈夫」という場所を見つけていたんでしょうね。
それが「木枯らしの森」

この場所、川の中洲にある本当にちっぽけな山のことなんすけど、その山が
森になっているんです。山の頂上にはちゃんと神社もあって、当時の人は
川を渡るたびにお参りしていた事でしょう。

この木枯らしの森、清少納言の歌枕にも登場しているようで、当時の東海道
(当時は東海道という概念もなかったのですが)はこのあたりを
通っていたと推理しております。

で、そのすぐ裏手には歓昌院坂と呼ばれている古道があって、それは奈良時代からある古道だそうです。

ねぇ。どう考えてもこれが当時のルートじゃないのかしら?

旧東海道よりも北側を通ることになるのですが、木枯らしの森の中洲のあたりは山があるくらい
地盤が硬くて
ちょっとやそっとの雨じゃ流路が変わる事もなく、安定して浅瀬だったんじゃないでしょうか。
古の知恵は凄いと思いたい俺の気持ちがこじつけているだけかもですが、
ちゃんと学説もあるようで、割と有力だと思っております。


今度は歓昌院坂を実際に歩いてみて、ある訳のない当時の痕跡を探ってみようと思います。

ただほぼ獣道で、一人で歩くの怖いんすよね〜w w w




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