元祖東海道を探る

ちょっとややこしい話なので、整理の意味も込めてブログに書いておきます。
めっきりハマっている東海道の話です。

東海道は江戸時代に整備された街道ですが、歴史的に言えばもっと古くから
あった訳で。
皆んな大好き静岡県には旧東海道が至る所に残ってます。
家康が晩年過ごしていた場所だからかね。

で。
今の東海道は車社会になった時に通りやすいように整備されて、かつての参勤交代に
使われていた東海道は「旧東海道」になった訳です。

じゃぁ一体いつからそのルートが使われていたのか。
しかも静岡には南アルプスやら糸魚川静岡構造線ってのが通っていて
まぁ簡単に言ってみれば「山を越えないと入れない国」な訳です。
昔の人からしたらイヤだっただろうなぁ〜。
山登りすんの?!って感じだったのでしょう。


で、駿河は高草山で東西に分かれていて、その間の交通は限られています。
宇津谷か日本坂。

調べれば調べるほど、日本坂はかつての東海道として名前が上がっています。

でもね?宇津谷と日本坂、めっちゃ遠いんすよ。
山一つ分違うの。

そんなルート変更あるかね?
旧東海道の宇津谷峠はさらに昔の街道、蔦の細道があります。
これはすぐそばなので理解できるんすけど、
そんな距離じゃなくて、山ごと違うルート変更ってあるのかなぁ?
というのが疑問なんすよね。


日本坂ってなんで東海道とされているのかって裏付けを調べたら出てきました。
「万葉集」
この俺から1番遠いところにあるであろう書物、万葉集に
日本坂の名前が出てくるので、まず主要道路だったことは間違い無いだろう、
というのが先人たちの見立てです。
なるほどね〜。
俳句を詠んだ人がたまたまそのルートを通っただけじゃね?
とツッコミたくもなりますが
とりあえずそのまま進みます。

万葉集は奈良時代の書物です。

ほうほう。奈良時代は日本坂が東海道のような役目をしていたのね。


で、お次は平安時代です。
平安時代の中期に完成している法令集には
もう宇津谷峠が東海道として機能している記載があるそうな。
この法令集、延喜式は927年に発行されているので奈良時代から
ここまでにルートが変わったということなのか。。。

長くなるのでまた次回。




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