江戸に恋して



最近はメモ、記録用にブログを活用しております。
今日も御多分に洩れず記録回です。江戸編ですw

静岡、というか駿府出身の妻と出会い、今川藩をご贔屓にした家康が菩提寺を杉並区にたて、その地名が「今川」になり、その「今川」で生まれ育た洋二郎くんは静岡スリバチ学会の会長を任せられる、という壮大な流れがあり、これはもはや運命だったとこれまた壮大なコジツケを手に入れた身としては江戸もしっかりと押さえておきたいところです。

先日、四谷と荒木町界隈を散策したのですが、いや、ほんと東京はすごいっすね。3時間程度で史跡をたくさん回れちゃう。
こんなことができるのは東京だけです。
地方に行ってみて始めて東京の魅力がわかる、これもアルアルですよね。

江戸城はそもそも太田道灌のお城だったのが、家康が駿府から来てからは幾度も拡張されています。
元々は皇居がある内堀内だったお城が人口が増えるに伴い手狭になり、現在の外堀まで広げます。
要所には信頼できる家臣を住まわせます。
それが「半蔵門」だったりするわけです。

なので今の四ツ谷駅からが「江戸城」です。
よくよく考えると「めっちゃくちゃデカい」んです。
こんなお城、日本中どこにもないっす。一度歩いてみてください。めっちゃデカいっすから。

で、味方だった家臣たちには江戸城内の大名屋敷に住まわせるのですが、よくみてみると外堀よりも外にも同じ名前の大名屋敷があります。
あれ?身近な家臣は城内に住まわせるのでは?と思ってしまいますが、これは「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」と同じ家臣でも親戚たちが住むように用意していたみたいです。
ナルホド。親戚の中でも家康に近い人が上屋敷、ちょっと遠い人は下屋敷、となるわけですね。

従兄弟のお家は外堀の外、おじいちゃんは中屋敷、みたいな感じでしょうか。
面白いっすね〜。

で敵軍だった人たちはというと、、、湿地帯だったところだったりちょっと不便なところに屋敷を作って住まわせていたようです。
ちゃんと意地悪w

で、人力で外堀を掘らせていたってんだから信じられませんよね〜。なんなデッカい石を運んできて、工事させてるんだから。
今じゃ考えられません。
俺ならサボっちゃう。
当時の人たちはちゃんとやってたのかなぁ。

なんでも他の藩主が持ってきたデッカい石の盗難もあったようです。で、自分たちの石に名前を掘って盗難防止策を投じたサインが今でも残っています。
これまた楽しめるポイントですよね。隠れミッキーみたいw

大名屋敷はその後、大使館や病院、大学なんかに変化していますが、場所は今でも散策可能ですので、一度興味がでたら回ってみてみると楽しいと思います。



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